どこにでもいる人はいないのと同じ

イギリスの聖職者、トーマス・フラーが言った言葉ですが、この言葉は衝撃です。

初めて耳にした時「これだ」と思いました。

子供のころからずっと感じていた感覚で、それを表現する言葉がなく、ずっと誰にも伝えられなかったものが、ついに見つかったと思いました。

トーマス・フラーは1608年の生まれですから、日本でいえば江戸幕府が生まれたばかりのころの人です。

島原の乱が1637年なので、トーマス・フラー27歳のころの出来ごとです。
(天草四郎の13歳年上がトーマス・フラー)
その当時、遠く離れた極東の地でなにがおこっていたかは知る術ないでしょうけども。

他にも趣深い格言をたくさん述べている人ですが、この言葉の秀逸さに勝るものは、わたしにとってはありません。ナンバーワンです。

だって、

「どこにでもいる人はいないのと同じ」

ですよ。

痛快じゃないですか。

スコーン!としていて、言葉が晴れている。

子供時代からずっと「変わってるね」って人に言われて
自分では「そうかな」と思うけど、まわりとは上手くやっていけないし
まわりの人が上手くできることができなかったりして疲れる。

でも、もうどうしようもないことには気づいているし
退却が許されるところを過ぎてしまったこともわかっている。

それでも幸せなことはあるから
今日もめげずに生きていますけど
こういう言葉と出会うと
「ああ、わかってる人ってどこかにはいるんだな」
と力をもらいます。
400年以上も昔の人にですけど。

しかもイギリスの人。

いつか、どこかで会えるといいな、トーマス・フラー。

もっと、もっと頑張ろう

わたしたちの仕事が少しでも、世の中の役に立ちますように。

into another world

今日はわたしたちのお客様に招待を受けまして、バレエの発表会を見てきました。

頭のてっぺんから足の爪先まで、一分一秒どのタイミングで切りとっても、すべてが芸術。

あまりの美しさに目が舞台に釘付け。

泣きたくなるような、心が洗われるような、
この衝動の正体はいったいなに!?

たぶん、まったく交わることのない別の世界なんでしょうね、
わたしたちとは

デザインにせよ、コーディングにせよ、サーバー管理にせよ、(サイト制作自体は一人ではなくチームでやることが多いですが)パソコンに向かってる時は一人ですから、かなり自由な仕事と言えます。仕事だってどこからが朝で、どこからが夜なのか分からないような、プライベートとビジネスの境界もぼんやりしてるし、音楽流しながらとか、フルーツ食べながらとか、なんかこう書くとすごくぐうたらな感じがしますけど、納期に間に合わすためのノリとか勢いとかつけるための、これが必死の努力や工夫だったりもします。サーバーのメンテや更新などは深夜~未明にしかできませんし。

つまり人格が仕事の中に溶けてしまっているのが、わたしたちの日常で、この業界に馴染みのない人から見ると、ずーっと仕事してるように見えるのでしょう。時折「大変な仕事ですね」なんて声かけられますが、本人たちは、実はものすごく甘い、人目も気にしない、リミッターの外れた居心地の良い世界の中にいる感覚です。
(いわゆるオタクと呼ばれる人々が育ちやすい環境なのはご理解いただけるでしょうか)

昔流行した「マーフィーの法則」に
“やってることが楽しければ、もはやそれは仕事ではない”
というのがありましたけど、仕事は楽しいです。
仕事をやってる時はもちろん、サイト制作のことを考えている時も。時間がどれだけあっても足りないくらい、仕事してると時間があっという間に過ぎていきます。

かたやバレエ

これはストイックの極致ですね。

まっすぐにピンっと伸びた姿勢で、飛んだり、跳ねたり、持ち上げたりして、
しかも笑顔。
音楽に合わせて、大勢で、踊りが乱れることもなく、
ダンサーみんなの心が互いに通じ合っていて。
このレベルにまで達するのにどれだけの厳しい練習を毎日毎日積み重ね続けているか。一人ではなく「みんなで」ですから。それを想像すると、畏敬の念を抱かずにはいられません。

とにかくみなさん細いよ、身体が。

芸術のために肉体から余計なものは全部そぎ落としましたって
そう主張しているような。

ムダなものがないって美しいんですね。
惚れ惚れします。
(思えばわたしたちはムダなことばかりやってる気がするぞ)

たまに異文化にふれるのはとてもいいです。
思いもよらない角度から、仕事へのヒントを与えてくれます。

みなさんもぜひ、バレエを見にいってください。

泣きたくなると思いますよ。

今日からやれよ

毎年この季節、カレンダーの日付残数が少なくなると「来年はもっとこうしよう、ああしよう」なんて考えが頭を巡るわけなんですけど、それは良くないことだなぁと。

甘えたことを言うなって

自分自身に対する戒めです。

林先生じゃないけど、「今日からやれよ」と
自分に言いたい。

今日もどこかで誰かが当社の悪口を言って、仕事を奪おうとしています。

過去にお客様から「IT会社の営業が来て、おたくの悪口さんざん言って帰ったよ」と言われたことがあります。

ひどいのが「しろくまシステムズはもうつぶれました」なんて営業してる人がいます。これも今年何人かのお客様が驚いて電話してきて、わたしに伝えてくれました。
「しろくまさんてつぶれたの?」と。

もうね、血の色、緑色なんじゃないですか、そんなことやってる人の血液。

もしくはオイルで動いてるか。

そこまでしてお客さん奪って、あなたそれで幸せですか?

まぁ幸せなんでしょうね。

いいですね、血液緑色のみなさんは。

そんな人にわたしはなりたくないですけど。

しかしほんと、嫌になってきますね、人間が。

ちいさい会社だけど、毎日地道に頑張ってるんだよ。
なめんじゃねぇー!
君たちのおかげでこっちはやる気満々だよ。
どうもありがとう。

一日なんてとても短いです。

モニタの前の血の色が緑色のそこの僕

今年も最後の1秒まで、頑張ってやるからな。

 

流行が終わる時

ホームページのデザインには流行があって、昔いいといわれていたものが、今は否定されたりすることがよくある、という話です。

かってFlashが大流行した時代がありました。2000年代の前半です。Flash(フラッシュと呼びます)とは何かと簡単にいいますと、ホームページ上で見せるアニメーションを作るソフトウェアで、一般的にはソフトよりも、それで作られたアニメーション自体をFlashと呼んでいました。

その時代には、Flashだけで作られたホームページもありました。
わたしたちもたくさん作っていました。

しかしスマートフォンがFlashをフォローしないことから(スマホではFlashは表示されません)、スマホの利用率が支配的になった2012年あたりから姿を消しました。

心が痛くなる瞬間です。

今でいうとパララックスサイトが、だんだんそんな風になってきました。AppleのiPhoneのサイトでももう止めてしまって、ごく普通のページになっていましたから、もう流行の終わりを感じます。

パララックスは見る人の目をひきますが、使う写真によっては酷い事になるし、その部分で必ずコストがかかります。極端に横長の写真を、さらに綺麗に見せないといけないので、カメラマンにその意図がちゃんと伝わっていないと、なかなかパララックスにジャストな写真を撮ることが難しいです。しかもレスポンシブさせた時は、スマホモニタ用の比率に合わせたものを一緒に撮ってしまわないといけないので、かなりデリケートな仕事の進め方が要求されます。

さらにGoogleが今、SEOの評価基準に「サイトが早く表示されること」をやたら強く言っているので、その点でもでかい画像を何枚も貼るパララックスは明らかな欠点があります。

あと、流行りだからいいのかっていう問題も当然考慮しないといけません。

パララックスは文章読ませることは捨てて、「写真を綺麗に見せる」ことに全振りしてしまっている技術です。サイトに訪れる人のニーズがそこにあればいいのですが、そうじゃないサイトでパララックス使っても上のデメリットをカバーできるんでしょうか。

流行が終われば、また次の流行に合わせて作ればいいんだよ」とおっしゃった方とつい最近お話しをしましたけど・・・・・

それはあまりに広告代理店脳じゃないですか。

そんな発想になれる人に、わたしも(出来ることなら)なってみたい。
幸せに生きていけるだろうな

まぁ、苦しいところですね。

Flashにしても、制作者のわたしたちからしたら、全部作り変えて普通のサイトにしてしまいたいですし、5年以上前に作ったサイトは文字が小さくて色がグレーで淡かったりするので、デザイン性がどうの以前にテキストが読みにくく、そういうところでも変えてしまいたいんですが、「タダで」っていうのは難しい。サイトのリニューアル提案をすると、お客様にしたら「おぅ、なんだまた営業か」って耳に聞こえるのは当然でしょう。

申しわけないって思います。

もう流行を追わないことにした方がいいのかな。

世の中の人はおおよそ2種類に分類できる

「男」と「女」とか、そんな普通のことじゃないですよ。

「右利き」と「左利き」、これもちょっと違う。

いや、だいぶ違う。

それは、人に迷惑をかける人と、かけられる人

人に迷惑かける人はいつだって周りの人に迷惑をかけてるし、かけられてる人はいつだって何か面倒なことに巻き込まれてる。

迷惑をかけられる人はだいたいみんな真面目で正直な人ですね。

人の良さにつけこんで、それ利用する悪い人間、人を平気で踏み台にして上っていくような。わたしも過去にいっぱい見てきましたし、まさに今も見ています。

そういう人たちを思い出すたび怒りが蘇ってくるし、
それが仕事への集中力の源にもなっている。

わたしの大嫌いな言葉で「騙されるほうが悪い」というのがあります。

そういえば昔の都知事がいじめ問題で「いじめられるヤツが悪い」って言ったことがあるけど、あれが迷惑かける側の本質ですね。そういう人の共通項として、権力者の前で恥ずかしいくらいに綺麗ごとをスラスラ言えるっていうのもあるな、そういえば。

真面目な人が損をする世の中には、しちゃいけない。

真面目に夜遅くまで仕事がんばってるみなさん
負けちゃダメですよ!

ファイト!ファイト!ファイト!

昔(学生の頃)読んだ村上春樹さんの短編小説にもそんなテーマの話があったのを今、ふと思い出しました。細かいストーリーはもう覚えていないですけど、「世の中には”働く人間”と”働かない人間”の二種類の人がいるからうまくバランスとれているんです」と、働かない人間視点で語られるんですが、そういう人からは頑張ってる人が異常に見えているといった内容だったと思います。

あの本、どこに置いたかな。

実家に帰ったら探してみよう。

ホームページ制作者のこれからについて

一文字0.5円には衝撃を受けました。

Welq問題の続きですが、ライターさんへの執筆報酬の話です。

DeNAの求める一記事8,000字をクリアしても4,000円程度ですかぁ
ビビりますね。

今年2016年は、わたし個人的に(この業界にいて)衝撃を受けることがたくさんあったんですけど、そのうちの一つがこれです。

8,000字の文字量がピンとこない方もいらっしゃるかと思いますが、Wordファイル1枚に文字ビッシリと書けば、だいたい1,400字くらいですので、約6枚分くらいです。

10年ほど前だと、「Wordファイル1枚3万円以下の仕事はやりません」というライターさんに何人か出会いました。1枚1万円なら(発注会社に対して)当時はかなり良心的な価格だなと思っていました。もちろん今でもそういう値段でお仕事されているライターさんはいらっしゃると思いますが、それに比べると今はあまりにもって感じです。

はたしてWelqの記事を執筆と言ってよいのかどうかという問題はありますが、ネットに公になってる文書を読んで、まとめるだけだとしても8,000字書くのはかなりのエネルギー消費を強いられるのは想像できます。

余談ですが、この仕事をしていると「文章書いてもらうのに金とられんの?そんなのサービスでやってよ」って言われることもあります。テキストはいつも軽視されてます。最重要なのに。まぁ文章は誰だって書けますからね。(適当でいいという条件付きであれば)

それはさておき、わたしたちのホームページ制作の仕事も、ランサーズやクラウドワークスといったクラウドソーシングで、結構な低価格で受注されてる制作者の方がいらっしゃいます。たまに広告代理店の方から見積もり依頼を受けますが、「ちょっと高すぎませんか?」ってよく言われます。そりゃクラウドソーシングと比べられたら何とも言えませんねぇ・・・。こっちはその仕事を納品すれば「ハイ終了」って感じじゃないから。明日も明後日も、一年先も、三年先もこの世界で仕事して、生きていかないといけないのに、命は削れません。

最近は同業者の方からも、「いつまでホームページ制作続けます?(笑)」って聞かれることが増えました。ホームページ制作会社の仕事も確実に減っているのが現実です。わたしたちのような小さな会社には全く笑い事ではないし、今現在の危機感はもの凄いんですが。

「いつまで」って聞かれても、辞めるわけにはいかないんだよなぁ。

自分にはこれしか出来ないし。

小学1年生の頃から人に「好きな科目は?」と聞かれたら必ず決まって「図工」と答えてた人間です。

「いつまで続けるの?」って聞かれたら、
もう「地の果てまで」と言うしかないです。

ホームページ制作はわたしにとっての翼ですから。

Welc問題で思うこと

基本を守ることの大切さ。

先月末にネットで大炎上し閉鎖されたDeNAのWelqは、ホームページを作っている者にとって非常にたくさんの興味深いことを示したと思います。

記事内容の医学的根拠がどうとか、上場企業のコンプラがどうというのは多くの方々がブログ等でたくさん書いておられるので、そこは識者の方におまかせするとして、注目すべき点はSEO的には大成功だったということ

その中で最もわたしの心にガツンと来たのが、HTMLの文法に従って正しくページが作られることを重要視していた事実。

当たり前といえば当たり前なんですけど、
やっぱり大切なのは「基本」なんだなぁと。

2010年頃からはホームページはほぼWordPressで作ってきましたが、ホームページ制作を、そういうCMS機能のパワーに頼るとどうしてもHTMLの「タグ」の使い方が甘くなってきてしまいます。

ホームページをWordPressで作る理由は、お客様自身でホームページの内容を編集(入力)することが可能になるからで、そうなるとコンテンツを入力する際の「見出し」がどうとか、「段落」がどうとか、その使い分けを正確におこなうには、HTMLの生まれた背景やタグが本来持っている意味をお客様にも理解していただく必要が生じます。とはいえ、当然それを説明しようとすれば専門的な(難しい)話しになることは避けられない。(その説明をしたところ)過去にお客様に煙たがられる経験もあったために、自ずと私たちも「これはまあいいか」って感じになっていました。結局はWordPressを使うのは私たちではなくお客様で、HTMLタグが正しく理解されることよりも、先ずはWordPressを使ってホームページを更新してもらうことの方が遥かに重要だからです。

さらにもう一つ。悲しいことに、
HTMLの文法に従いキレイなコードを書く労力というのは、制作者と検索エンジン(Google)以外には評価されません。

わたしもしろくまシステムズを作る前に所属していた会社で、「お前は綺麗好きだからいかん、コードなんてどうでもいい、誰も見ないんだから。とっとと納品しろ」と上の人間に言われた経験があります。

制作者を使う側の人間の気持ちは、概ね上のようなものじゃないでしょうか。

世の中はノイズで溢れかえっているので、時に正しい判断が間違っているような錯覚に陥る状況に遭遇します。

もう一度、原点に帰って、
キレイなコードを書くことを大事にします。

一番言いたいことから書く理由

必ず一番言いたいこと、伝えたいことから書いてください。

これは何かといいますと、ホームページでブログを書くときに最初に気をつけることです。

たとえば手紙だと「拝啓 ○○の候、ますますご清栄~」という決まりの定型文から書き始めますが、ホームページでそれは必要ありません。

そうすると一見乱暴な書き始めに見えるかもしれませんが、それが一番ホームページで文章の読む人の心を掴みます。

理由は明瞭で、
雑誌や新聞などの紙媒体と違って、パソコンやスマートフォンの一画面はとても小さいです。

たとえば雑誌や新聞なら一目で書いてある文章量や、途中の見出しや写真なども自然と目に入るので全体像が掴みやすく、パッと見ただけで読むのにどれくらい時間とエネルギーがかかるのか予測できます。また文章の下の方に「自分にとって興味のある話題」が隠れている場合も、見出しやキャッチコピー次第で見つけてもらえる可能性があります。

ホームページではその情報を一目では感じとれないので、最初に書いてある文章やキャッチコピーで、読者の心を掴まないとすぐに離脱されます(みなさんもこういう体験はあるんじゃないでしょうか)。

しかも最近は大きなフリー素材の写真をページトップに貼る「悪しき習慣」が流行しているので、ページを読み込んだ最初の画面では、文字が全く見えないこともあります。

一番最初に「おっ、何だこれは?

と思ってもらえないと、まず読んでもらえないでしょうね。

わたしの場合もそうなんですが、書き始めると言いたいことが、新たにどんどん出てきて、文章量が多くなっていきます。量が多くなるのは対検索エンジンには有効に働いてとても良いことなんです。しかし、パソコンやスマートフォンで文章を読んでいる人にとっては果たしてどうでしょうか。

結論がなかなか見えないと途中で違うページに行ってしまいませんか?

みなさんは毎日お仕事や家事やプライベートで忙しくしていて、ゆっくり他人のブログを読んでいる時間がどれくらいあるでしょうか。

忙しいんです、みんな

言いたいことから、まず書き始めてみましょう。

検索しているのではない

SOSなのだ。

助けを求めにやって来ている人が目の前にいたとして
あなたはいったい何ができますか?

それをホームページで言えばいいんです。

人が必要としているのは、あなたの武勇伝ではありません。

救済なんです。